酒田市で美味しい台湾料理・中華料理を楽しみたい方はぜひ当店へお気軽にご来店下さい!

阿部(水野)一美

091A5372鼠ヶ関という田舎の漁師町に、

ペンキ屋(塗装業)の3人兄弟の

末っ子として生まれる。

男勝り、勝気で自我が強くも

人見知りという内弁慶な子供だった。

そんな頃からの将来の夢は、

歌手になること。

歌うことは大好きであったが、

人前に出るのは苦手。

でも小学4年生の時の授業の歌のテストで

「上手いね。歌手になれるよ!」

と言われ、好きな事を仕事にしたいと

思ったから。

高校もギター部のある高校を選択し、

高校3年の文化祭のギター部発表では

ソロで歌わせてもらったり、

卒業式前の「3年生を送る会」では

卒業生代表で友人と2人で弾き語りさせてもらったりした。

高校を卒業したら東京に行くつもりだった。

が お金がなかったので、鶴岡市内の居酒屋で朝5時までバイトし、

鼠ヶ関に帰る生活を始める。

やっと少し貯まってきたかな〜という時に父と大喧嘩。

兄と父が毎朝のように家業の事で喧嘩していて

「うるさくて眠れない!」と抗議したら

「お前も働いているのに家に生活費も入れてないくせに大きい口を叩くな」と言い返され、

早く東京に出る資金を貯める為だったのに、もう我慢出来ない!

もうこんな家出てってやる‼とその日の内に住むアパートを決めて

1週間後には鶴岡市内で1人暮らしをスタートさせる。

19歳の秋である。

友人を伝い縁があって酒田に越してきたのが23歳の春。

それから朝、昼、晩とバイトを掛け持ちしながら捨てきれない夢を見続ける日々であったものの、

何を行動するわけでもなく、フリーター歴ばかりが長くなっていた。

そんな頃に店長から 「社員として長く会社を支えてくれる人が欲しいと思っている。

一美ちゃんも、もう25歳にもなってフリーターだとこれから不安じゃないか?

社会人として如意で頑張ってみないか?」 と声を掛けていただいた。

小さい頃から人見知りで、 親戚の人が家に来ていても、

挨拶するのが苦手なので お腹が空いても喉が渇いても

2階から降りて行かなかったほどに人見知りの私に、

ホールスタッフとして責任ある仕事を続けるられるか不安だったが、

店長をはじめ、アッコさんや先輩パートさんやお客様にたくさんの事を教えて貰いながら、

今も尚チャレンジし続けている。

同じく社員の後藤君と励まし合いながら。

091A5464

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